「お七夜って、みんなやってるのかな……?」
赤ちゃんが生まれて、少し生活が落ち着いたと思った頃にふと目にする“お七夜”という言葉。
SNSでは命名書を飾ったり、華やかな料理とともに笑顔で写る赤ちゃんの写真が並んでいたりして、「うちは何もしてないけど、大丈夫だったのかな」と、なんとも言えない気持ちになるママやパパもいるかもしれません。
お七夜は、赤ちゃんの誕生を祝う大切な日本の伝統行事。
でも、産後1週間というタイミングは、実は心も体もボロボロな時期だったりします。
痛みが残る中での授乳、寝不足、慣れない育児、上の子の世話……。
お祝いの準備をする余裕なんて、とてもじゃないけどなかった、という声もたくさんあります。
それでも、やらなかったことに後悔しているわけじゃない。
ただ、「あのとき、なにかできたかな」という小さな引っかかりが残ることもある。
この記事では、そんなモヤモヤにそっと寄り添いながら、お七夜をやらなかった人たちのリアルな体験や、後悔しないためのヒントをご紹介します。
形式にとらわれず、あなたと赤ちゃんの心に残る“わが家だけのお祝い”の形を、一緒に見つけていきましょう。
お七夜をやらなかった家庭は意外と多い?
「みんな、やってるものだと思ってた。」
そう思っていたのに、気がつけば産後7日なんてあっという間に過ぎてしまっていて、気づいたときにはもう「今さらやっても遅いのかな……」とモヤモヤしている自分がいる。
SNSや育児サイトを見ていると、「お七夜をちゃんとやりました!」という投稿が目につきますよね。
命名書を飾って、お祝い膳を囲んで、ニコニコ笑っている家族写真。
見ていて「素敵だなあ」と思う一方で、「うちは何もやってないけど、大丈夫だったのかな……」と不安になってしまう人も少なくありません。
でも実際のところ、お七夜を“やらなかった”という家庭、じつはかなり多いんです。
「やらなかった」家庭の割合と時代の変化
お七夜は日本の伝統行事ではあるものの、
最近ではその形や優先度がかなり変わってきています。
ある育児アンケートでは、「お七夜をきちんとやった」と答えた人は全体の34割程度。
一方で、
- やらなかった
- 簡単に済ませた
- あとからお祝いした
つまり、やっていない方がむしろ“マジョリティ”かもしれないんです。
背景には、時代の変化があります。
昔に比べて、
- 核家族が増えた
- 親世代との行事の価値観が異なる
- 育児中のママの体力・時間的余裕がない
- 共働き家庭が当たり前になってきている
また、お宮参りや百日祝いなど、
「お七夜以外にもお祝いの機会はある」という点も、“最初の7日間にこだわらなくていい”という選択を後押ししています。
SNSで見かける“簡略化派”の声
SNSには、ていねいにお祝いをした素敵な投稿も多いですが、じつは“簡略化派”のやさしい声もたくさんあるんです。
たとえば
「お七夜、名づけだけして、あとは家族3人でおにぎり食べた」
「命名書は後日100均の額縁に入れてリビングに飾ったよ」
「料理はお惣菜。でもそれで十分幸せだった」
「産後ヘロヘロだったから“やらない”って決めてスッキリした」
こんなふうに、がんばりすぎず、でもちゃんと赤ちゃんの誕生を喜ぶというスタイルは、今ではとても一般的になっています。
写真を撮るだけ、お名前を家族で呼んでみるだけ…
それでも、その一瞬がちゃんと“お祝い”になる。
そんな感覚をもっている人が増えているのは、とてもあたたかいことだと思いませんか?
「みんなやってるかも」は、あくまで“見えている一部”にすぎません。
大事なのは、周りのペースではなく「あなたの家庭のペース」です。
「無理をしない。」
「比べない。」
でも、赤ちゃんの誕生を心から祝う気持ちは、きっとどの家庭にもちゃんとある。
そう思うと、「お七夜をやらなかった」ことに、ちょっと優しい目を向けられるようになるのではないでしょうか。
お七夜をやらなかった理由とは?
お七夜をやらなかった家庭には、みんなそれぞれの事情や背景があります。
「祝いたくなかった」というわけでは決してなくて、「大切に思っていなかった」なんてことも、もちろんありません。
それでも“やらなかった”という選択をした人たちは、そのときの状況の中で、自分たちにとって何が一番大切なのかを考えた末に、そう判断しただけなのです。
ここでは、実際によくある“やらなかった理由”についてひとつずつご紹介していきます。
どれかひとつでも「うちもそうだったな」と感じられたなら、きっと今のあなたの心が少しやわらかくなると思います。
ママの体調が整っていなかったから
これは本当に多く聞かれる理由のひとつです。
出産というのは想像以上に体へのダメージが大きく、心も身体もまだ回復しきっていない時期に「行事をやらなきゃ」と思うのは、正直とても大変なこと。
傷の痛みが残っていたり、夜間授乳で寝不足が続いていたり、ホルモンバランスの変化で涙が止まらなかったり…。
そんな中で「命名書を書こう」「料理を用意しよう」なんて、とてもじゃないけどできないというのがリアルな声です。
それでも赤ちゃんを大切に思う気持ちは、何も変わりません。
だからこそ、“やらない”という選択は、ママ自身を大事にした優しさだと私は思います。
名づけがまだ決まらなかったから
お七夜では命名が大きなテーマになりますが、この“名前を決める”という作業、実はとても悩ましくて時間がかかるものです。
意味、響き、漢字のバランス、両親の想い、時には祖父母からの意見まで入り混じって、簡単には決められないというケースも多いのです。
「候補はあるけど、しっくりこない」
「産後のバタバタで考える余裕がない」
「夫婦の意見がまだまとまっていない」
…そんな理由で、気づいたらお七夜のタイミングが過ぎていたということもよくあります。
もちろん、あとからじっくり話し合って名前を決めて、落ち着いて命名書を用意することだって、素敵なお祝いのひとつです。
大切なのは“納得できる名前を、心をこめて贈ること”。
日付にとらわれず、気持ちを大切にできたのなら、それが一番の命名になります。
形式ばった行事に抵抗があった
「本当にこれ、やらなきゃいけないのかな」そんな気持ちになったことはありませんか?
お七夜は歴史ある行事ではありますが、現代の暮らしにぴったり合うかどうかは、人それぞれです。
伝統に価値を感じる人もいれば、形式にこだわらない自由なスタイルを好む人もいます。
特に共働きの夫婦や、核家族でサポートの少ないご家庭では、形式にとらわれない柔軟な選択が自然なことでもあります。
中には
「義実家のために形だけやるのは嫌だった」
「名前も決まっていなかったし、タイミングを逃してしまった」
という声もありますが、どの選択にも“わが家の価値観”があります。
他の家庭と同じようにする必要なんてないのです。
あなたの家庭にとって心地いい形で、お祝いの気持ちを表現できれば、それで十分です。
上の子のお世話で手が回らなかった
二人目、三人目の出産を経験したママからは、「お七夜どころじゃなかった」という声もよく聞かれます。
赤ちゃんのお世話に加えて、上の子のケアや送迎、遊び相手、食事づくり…。
とにかく一日が嵐のように過ぎていって、ふと気がついたら「えっ、もう1週間?」という感覚。
そんな中で「ちゃんと祝いたい」という気持ちはあっても、実際には体も気持ちもついていかないというのが現実です。
上の子の対応で精一杯な日々の中では、イベントをこなすことよりも、家族みんなで無事に過ごすことの方がずっと大切。
だからこそ、無理してやらなかったことに罪悪感を抱く必要なんて、まったくないのです。
お七夜をやらなかった理由は、どれも「うちの家族にとって、今はこれが最善だった」と言えるものばかりです。
正解なんてありませんし、やらなかったからといって、愛情が薄れるわけでも、思い出が減るわけでもありません。
むしろ、「どう祝うか」ではなく、「どんな気持ちでこの日を迎えたか」の方がずっと大切なのだと思います。
実際にやらなかった人の体験談
お七夜をやらなかったと聞くと、「あとから後悔してしまったのでは?」と心配になる方もいるかもしれません。
でも実際には、やらなかったことで心が軽くなったという人もいれば、少しだけモヤモヤが残ったという人もいます。
どちらのケースにも、そのときの事情や思いがあって、
「ちゃんと祝わなかったから後悔した」
「やらなかったのは失敗だった」
なんて、ひとくくりにはできません。
ここでは、実際に“お七夜をやらなかった”という選択をした家庭の声をいくつかご紹介します。
それぞれのリアルな体験が、今まさに悩んでいるあなたの背中をそっと押してくれるかもしれません。
やらなかったけど後悔していないケース
私は帝王切開で出産して、退院してすぐは痛みもひどくて、まともに椅子に座ることもできなかった。
赤ちゃんのお世話だけで精一杯。
上の子もまだ小さくて、夜中に2人が交互に泣く日が続いていました。
そんな状態で“ちゃんとお祝いをしよう”なんて、どう考えても無理でした。
「何も用意できなかったけど、今はそれでよかったと思っています。命名は出生届の提出と一緒に済ませたし、写真は後日落ち着いて撮ったし、今では家族の笑い話になっています。」
このように、やらなかったことに対して罪悪感を持たなかったという方は少なくありません。
それどころか、「当時の自分に“無理しなくていいよ”って言ってあげたい」という声さえあります。
祝う気持ちがあるかどうかは、形式やタイミングとはまた別の話。
自分たちのペースで、できるときに、できることをしたという実感が、心の満足につながるのです。
やらなかったことでモヤモヤが残ったケース
一方で、「やらなかったことを少しだけ後悔している」と話す方もいます。
私の体調が優れなかったのと、夫も育休を取れなかったので、平日はワンオペで必死。
結局、命名書も書かず、写真も撮らず、ただ毎日が過ぎていきました。
最初は“仕方ない”と思っていたけど、数ヶ月経ってふと『何か記念になること、ひとつくらいしておけばよかったな…』って思ってしまったんです。
でも彼女はこうも言っていました。
今からでも、当時の思い出をアルバムに手書きで書き足そうと思っています。
そうすれば、あの日の気持ちもちゃんと残せる気がするから。
後からだって、補えることはたくさんあります。
“お祝い”は、いつでも始められるんです。
代わりに「やってよかった」代替案
やらなかったことに後悔しないために、こんな“自分たちらしいお祝い”をしたという声もあります。
何気ない一日だったけど、“この子が生まれて7日たったんだな”と思いながら書いた言葉が、今でも宝物になっています。
それを印刷してアルバムに貼ったそうです。
「誰かを招いたわけでも、ご馳走を用意したわけでもなかったけれど、私たちにとってはそれが“お七夜”だったと思っています。」
こうした“ささやかだけど、心がこもったお祝いの形”こそ、実はとても尊いものではないでしょうか。
やる・やらないの境界線って、案外あいまいです。
気づけば自然と「やっていたこと」がお祝いになっていたり、何もしていないと思っていたけれど、ちゃんと「喜びの気持ち」がそこにあったり。
どんな選択をしたとしても、その時のあなたの気持ちを否定する必要なんてまったくありません。
もしモヤモヤがあるのなら、それは“今からでも何かできるかも”という優しい気持ちの証です。
完璧じゃなくていいんです。
小さくても、あなたらしい形で、赤ちゃんの誕生を喜ぶことができたら、それは立派なお祝いになります。
お七夜をやらなくても大丈夫な理由
「本当に、やらなくてよかったのかな……」
「ちゃんとお祝いしてあげられなかったかも」
そうやって心に引っかかる気持ち、すごくわかります。
わたしもそうでした。
でも、どうか安心してください。
お七夜をやらなかったからといって、赤ちゃんへの愛情が薄れるわけではないし、記念が何も残らないというわけでもありません。
むしろ、やらなかったことで見えてくる“その家庭らしいお祝いの形”があるんです。
形式や日にちにとらわれない、柔らかくて、あたたかい“新しいお七夜”のかたち。。。
ここでは、そんな考え方をご紹介します。
命名や写真だけでも充分な記念に
「命名書、ちゃんと作らなきゃいけなかったかな……」
「写真も撮ってないし、何も残ってないような気がする」
そう感じてしまうかもしれませんが、実際はそんなことありません。
たとえば、出生届を提出する際に決めた名前が、その時点でもう“命名”です。
紙に書いたり飾ったりしなくても、赤ちゃんに名前を贈った瞬間が、何よりの記念。
また、ふと撮ったスマホの写真が後から見返すと宝物になっていることって、ありませんか?
寝顔、あくび、泣き顔、ぐっすり眠る手。
どれもそのときにしか見られない「わが子だけの時間」です。
何も特別な用意をしなくても、その瞬間を感じていること自体が、ちゃんと“お祝い”になっているんです。
時期をずらして落ち着いてお祝いする方法
お七夜は“生後7日目にやる行事”という認識が強いですが、実際には「その日にやらなければいけない」という厳格な決まりはありません。
むしろ、今の時代の暮らしに合わせて「ずらして祝う」ご家庭がとても増えています。
たとえば、お宮参りのタイミングと合わせて、命名書を用意したり家族写真を撮ったりする人もいます。
生後1ヶ月や百日祝いのときに、まとめて“生まれてきてくれてありがとう”の気持ちを伝える人もいます。
「落ち着いたらゆっくり祝おうね」と話せる余裕があること。
それだけで、家族の関係性ってぐっと温かくなる気がしませんか?
あの日にできなかったからといって、その気持ちがなくなったわけじゃない。
“今ならできる”そのタイミングを大切にしていいんです。
「やらなかったからこそ」得られた気づき
これは、少し視点を変えたお話かもしれません。
お七夜をやらなかったからこそ、見えてきたものもある…
そんな声があるんです。
あるママは、「最初はできなかったことに後悔していたけれど、そのぶん“何を大切にしたいか”を真剣に考える時間が持てた」と話してくれました。
たとえば、命名の意味にじっくり向き合って、自分たちらしい名前を決められたこと。
その名前を呼ぶたびに、ちゃんと「あなたが生まれてきてくれてうれしいよ」と感じられるようになったこと。
また、形式を整えることよりも、赤ちゃんと目を合わせて「おめでとう」と言葉をかけた一瞬の方が、心に残っているという人もいます。
やらなかったことで、“自分たちの気持ちに正直になれた”という実感。
それは、すごく価値のあることだと思いませんか?
やらなかった理由があってもいいんです。
やらなかったことを悔やまなくてもいいんです。
やらなかったからこそ見えたものも、確かにある。
大切なのは、「あの時、自分にできることを選んだ」という事実です。
それが結果的に、家族みんなが無理なく過ごせて、赤ちゃんのそばに笑顔があったのなら、それで十分すぎるほど素敵な“お祝い”だったのです。
後悔しないためにできる工夫とは?
「やっぱり何かしてあげればよかったかな」
「後から後悔するかもしれない…」
そんなふうに、どこか心の奥で引っかかっている気持ちってありませんか?
大きな行事を立派にやらなくてもいい。
完璧じゃなくても大丈夫。
それでも、「なにか記念に残ることをしておきたかった」と感じる瞬間は、きっと誰にでも訪れると思います。
だからこそ、「後悔しないためにできる、ちょっとした工夫」があると、未来の自分を少しラクにしてあげられるんです。
ここでは、心に残る形でお祝いの気持ちを伝えるための、無理のないアイデアをご紹介します。
写真だけでも撮っておくと安心
「写真なんて、いつでも撮れる」
そう思いがちですが、実は“生後7日目の赤ちゃん”って、その時にしかいない存在なんです。
ほんの1週間でも顔立ちは変わっていくし、表情や肌の色、手の大きさ、包まれた布の質感…どれも“その日だけの景色”。
特別な飾りがなくても、スマホでパッと撮った一枚でも構いません。
授乳の合間に寝ている姿をそっと撮ったり、ママの腕にすっぽり収まるサイズ感を記録しておくだけで。
数年後に見返したとき、「あの頃の小ささって、本当に奇跡だったな」って心から思えるはずです。
もしできるなら、パパや上の子とのスリーショット、家族みんなの集合写真もおすすめです。
泣いてても、髪がボサボサでもいいんです。
その“ありのまま”が、かけがえのない思い出になります。
あとからでもできる簡単なお祝いアイデア
「お七夜、逃しちゃったな…」と思っても大丈夫。
お祝いは、いつからだって始められます。
たとえば
- 赤ちゃんの名前と生年月日を書いた小さなカードをつくって飾る
- 家族で“命名の瞬間”を振り返る手紙を書いて、将来のタイムカプセルにする
- 赤ちゃんの足形や手形をとって、成長アルバムに残す
- “名づけの由来”を記録するページをつくる
- 産後少し落ち着いたタイミングで、家族で乾杯(ノンアルでもOK)をする
そして何より、それを一緒に過ごした家族の時間が、記憶に刻まれます。
行事のために頑張るのではなく、「今ならできそうなこと」に目を向けてみる。
それが、後悔しない未来につながっていくはずです。
夫婦で“我が家らしい祝い方”を話し合おう
「こうするのが正しい」
「みんなこうしてるらしい」
そんな情報が多すぎる時代だからこそ、夫婦でじっくり話し合って“我が家に合った祝い方”を見つけることがとても大切です。
お七夜に限らず、育児って、家庭ごとにまったく違うペースと価値観があります。
ママが「ちゃんとやらなきゃ」と一人で抱え込むより、「どうしたい?」と夫婦で対話することで、選択に納得感が生まれます。
もしかしたら、パパも「実はお祝いしてあげたかったけど、どうすればいいかわからなかった」と思っているかもしれません。
あるいは、「無理しないで、写真だけでもいいよ」と言ってくれるかもしれません。
正解は、夫婦のあいだにあります。
忙しい毎日のなかでも、ほんの数分、赤ちゃんの顔を見ながら「この子の誕生、どう祝おうか」と話す時間が持てたなら。
それだけで充分“お祝いの時間”になっているのだと思います。
どんなに小さなことでも、「やってよかった」と思える記念は、きっといつか心を満たしてくれます。
それは、豪華な食事や見栄えのいい写真じゃなくていい。
気持ちを込めて、家族の時間を大切にできたという事実こそが、何よりの思い出になります。
「ちゃんとできなかった」ではなく、「今の私たちなりに祝えた」。
そんな風に言える自分でいられるように…
ほんの少し、できることから始めてみませんか。
まとめ|お七夜は「やらない選択」もあり
お七夜をやらなかったことに、少しでも後ろめたさを感じていたとしたら
その気持ちは、きっと赤ちゃんを大切に思っている証拠です。
でもどうか、自分を責めないでください。
生まれて間もないあの時期は、ママもパパも、心も体もいっぱいいっぱいだったはずです。
だから“できなかった”のではなく、“そのときに最善の選択をした”と、胸を張っていいのです。
お祝いは、日付や形式ではなく「どう感じたか」「どんな思いで過ごしたか」で決まります。
命名だけでも、写真1枚だけでも、赤ちゃんの寝顔を見ながら「生まれてきてくれてありがとう」と心の中でつぶやいたあの瞬間さえも、立派なお祝いです。
そして何より、赤ちゃんは「形」よりも「愛情」をちゃんと感じ取ってくれています。
だから、どんなかたちであれ、家族が笑っていて、愛おしい気持ちがそこにあったなら、それが“わが家のお七夜”で良いのだと思います。
あなたの選んだその過ごし方は、ちゃんと意味があって、ちゃんと価値があって、ちゃんと温かい。
だから、大丈夫ですよ。